肺高血圧症治療ガイドライン(2012年改訂版) Guidelines for Treatment of Pulmonary Hypertension(JCS2012) 
 
 肺動脈性肺高血圧症の診断には,右心カテーテル検査による ⒜   肺動脈圧の上昇(安静時肺動脈平均圧で25mmHg以上,肺血管抵抗で240dyne・sec・cm-5以上) ⒝  肺動脈楔入圧(左心房圧)は正常(15mmHg 以下)②  肺血流シンチグラムにて区域性血流欠損なし(突発性または遺伝性肺動脈性肺高血圧症では正常または斑状の血流欠損像を呈する(3) 参考とすべき検査所見①  心エコー検査にて,三尖弁収縮期圧較差40mmHg以上で,推定肺動脈圧の著明な上昇を認め,右室肥大所見 
予後良好予後決定因子予後不良 
Class Ⅰ 
ClassⅠ 
225 例中142 例で 
肺動脈性肺高血圧症の診断 
要旨 75) .発症頻度は100万人に1~2人と稀な疾患で,治療介入を行わなかった場合,診断からの平均生存期間が2.8年と非常に予後不良で76) あった.しかし最近の検討では小児期にも好発年齢帯が存在し,この時期の発症例では性差はないことも知られてきた.10),11),63),77),78) , 遺伝性疾患として認識されたが,IPAHについては発症原因は現在も不明である.①疫学,成因 79) .フランスの国家登録作業では2002年に18歳以上のPAHが674例登録され,その中でIPAH/HPAHは290例であった.これより,本症の有病率は4.8人/100万人と計算された12) .2006年の米国REVEAL登録研究では2,525例のPAHが登録され,内IPAHは1,166例であった80) .2)成因 10),77) .また,本来は遺伝性出血性毛細血管拡張症の原因遺伝子であるACVRL1遺伝子や 小児例では,endoglinの遺伝子異常が発見され81),82) ,最近では SMAD962),78) や caveolin-1(CAV1)の遺伝子変異63) も報告されている.しかし,遺伝子変異のない例における発症原因は未解決である.PAHの成因に関しては前項(6 肺高血圧症の病因) ②診断方法 表7 には2010年に改訂された厚労省難治性疾患克服研究事業で定められたPAHの診断基準を示す.③予後・重症度評価 1)予後 76) .小児の未治療IPAH/HPAH の予後は成人に比較してさらに不良で,平均生存期間が10か月であると報告されている76).83) .近年の欧米における大規模症例登録の解析結果では,本症の予後は改善してきており,フランスの報告ではIPAH/HPAH/薬剤性PAHの1 年生存率,3年生存率,5年生存率が各々89%,77%,69% 84) ,米国REVEAL登録研究ではIPAH/HPAHの1年生存率 ,3年生存率,5年生存率,7年生存率はそれぞれ 91%, 74%, 65%,59%であった85) .これは最近の特異的PAH治療薬の開発に負うところが大と考えられる.2)重症度/予後評価 76) .しかし現在では病状の進行度や失神, 右心不全の既往などの臨床症状の有無,NYHA/WHO肺高血圧症機能分類度,運動負荷試験(6分間歩行試験・心肺運動負荷試験)40),44) ,心エコー法で心嚢液の有無,TAPSE 31) などの生理学的指標や,BNP 23) ,血中尿酸値27) などのバイオマーカー値などを総合して重症度評価や治療効果判定を行うことが主流となってきている.ESC/ERSのガイドラインでは表8 が重症度/予後と治療方針を決定するための参考にされ,病状を予後がよい指標とされる項目を多く含む順に「安定し,満足している」,「安定しているが,十分でない」,「不安定で,悪化してる」と分類し,治療方針決定に用いている3) .また最近の米国のREVEAL症例登録研究からは,新たにPAHの予後についてのリスク スコアー計算法も発表されている86) .これらの評価では,肺循環動態諸指標に関しては,肺動脈圧自身よりむしろ右房圧や心拍出量係数,肺血管抵抗が重視され,混合静脈血酸素飽和度(Svo2 )も重症度評価には有用である.表9,表10 ).PAHでは基本的にはワルファリンを用いて抗凝固療法を行う.低酸素血症があれば酸素投与の適応と考えられ,我が国では肺高血圧症の診断で在宅酸素療法の健康保険の適応が得られている.右心不全症状があれば利尿薬の投与や,心房性頻拍症があればジゴキシンを用いる場合もある.妊娠は禁忌とされ,感染症予防の目的でインフルエンザや肺炎球菌の予防接種が勧められている.88) .表8 に示す各項目について評価し,まず任意の特異的PAH治療薬を単剤で開始する.治療は重症度指標の各項目について3~ 6か月ごとに評価を行い,病状が治療目標を満足していない場合,逐次治療薬を追加する3),4) .しかし,具体的な治療薬の選択法についての言及は行われていない.右心カテーテルは治療開始,治療変更の3~ 4か月後,および臨床的増悪が認められた場合に施行することを推奨している.89),90) .現在,欧州ではYHA/WHO機能分類のⅡ~Ⅲ度例についての有効性や,治療薬の組み合わせ(2剤,3剤併用を含む)につき治験が進行中である.upfront combination therapyの具体的な手順も,今後の検討課題である.91) ,肺血行動態の正常化に関しては,これを絶対目標とはしていない場合が多い.一方,我が国では治療目標はあくまで肺血行動態の正常化を目指すべきであり,このために治療薬の増量・併用を積極的に勧めるとの考え方がある.ただしIPAH/HPAHでは,積極的治療により肺血行動態の正常化が達成される例もあるがEisenmenger 症候群などのCHD-PAHでは肺血行動態の正常化は極めて困難な場合が多い.同じ第1群に属していても各PAHで治療に対する反応性は大きく異なっている可能性がある.各PAH疾患の特性を把握し,治療目標を設定する作業は,現時点では各々の担当医の判断に委ねられており,そのためにも治療方針決定は十分な経験を持った施設で行われることが必要である.92) .したがってIPAH/HPAHに対する治療指針がすべてのPAHに同一に適応される訳ではなく,各PAHに対する治療は各々の病態に応じて工夫する必要がある.2)抗凝固療法 93)-95) .ワルファリンの用量は,PT-INRを1.5~ 2.5を目標とする場合が多い.しかし,これらの成績はすべてエポプロステノールが使用できない時代のものである.エポプロステノール持続静注法では,カテーテル由来の血栓を起こす可能性があるが,一方で強力な抗血小板凝集抑制作用による出血性の合併症も考えなければならない.Ogawa らはエポプロステノールと抗凝固療法の併用により肺胞出血の危険性が高くなる可能性を指摘している96) .他の疾患に伴うPAHでは,出血性合併症(門脈─肺高血圧症の消化管出血や先天性心疾患における奇異性塞栓や肺胞出血の頻度など)の多寡により投与の有無や用量を決める.3)利尿薬 4)長期酸素療法(在宅酸素療法) 97),98) .一般に,慢性閉塞性肺疾患で証明されたと同様の生命予後改善を期待して,動脈血酸素分圧を60mmHg以上に保つ酸素投与が行われている.しかし,CHD-PAHを対象とした唯一の無作為割付試験では,2年間の酸素療法では死亡率の改善は示されなかったとの報告もある99) .100) .肺高血圧患者に対する急性効果では心拍出量は増加し,肺血管抵抗は不変であった101) .しかし,慢性効果については明らかでなく,心拍コントロールの際に考慮すべき薬剤として位置づけられている.6)その他の強心薬 7) カルシウムチャンネル拮抗薬(calcium channel blocker: CCB) ○ボセンタン 103) ,先天性心疾患に由来するPAHを対象としたBREATHE-5 104) ,NYHA/WHO機能分類Ⅱを対象とし105) がある.BREATHE-1,BREATHE-5,EARLY試験では,それぞれ16週間,16週間,6か月でのボセンタンによる6 分間歩行距離の改善が確認106),107) .有害事象としては血清トランスアミナーゼ上昇が10%未満に出現する.この肝機能異常は用量依存性であり,中断や減量で改善する.定期的な肝機能検査が必要である.ESC/ERSガイドラインではNYHA/WHO機能分類Ⅱ,Ⅲ度がボセンタンのよい適応で,Ⅳ度例への投与のエビデンスレベルはやや低下する.我が国でも同様の対応としてよい.○アンブリセンタン 108) ,その後のNYHA/WHOⅠ~Ⅳ度のIPAH/HPAH,CTD-PAHを対象とした2 つのランダム化比較試験(ARIES-1,ARIES-2)で治療期間12週間後に6分間歩行距離の改善が確認され109) ,それに続く2 年の長期投与でも運動能が保たれていた110) .試験は1日投与量が2.5mg,5mg,10mgの3 群で実施されたが,全症例をプールした解析では1年生存率が94%,2 年生存率が88%であった.また,血清トランスアミナーゼが正常上限の3 倍を超える上昇は年間2%以下とされるが109) ,末梢浮腫の発現が報告されている.我が国での採用は2010年である.○シルデナフィル 111),112) , ランダム化比較試験(SUPER-1)で運動耐容能,NYHA/WHO機能分類の改善および肺血行動態の改善が確認された113) .これに加えシルデナフィルは主として換気の良好な肺組織において作用するため,換気血流不均衡の増悪を来たしにくく,低酸素血症の悪化は認められないとされる114),115) .ERAと同様にNYHA/WHO分類Ⅱ,Ⅲ度がよい適応とされ,NYHA/WHO分類Ⅳ度にも適応可能である.我が国での保険適応は2008年である.その後発表された長期予後データ(SUPER-2)では,SUPER-1 参加例に対しシルデナフィルを可能な限り240mg/日に増量し,18%の例ではERAまたはプロスタサイクリン経路の薬剤の追加を受けているが,運動耐容能,NYHA/WHO機能分類の改善とともに3年生存が79%であったと報告されている116) .○タダラフィル 117) ,その長期試験(PHIRST-2)でも運動耐容能は保たれていた118) . ランダム化比較試験ではNYHA/WHO機能分類Ⅰ度の例も含まれているがESC/ERSガイドラインではNYHA/WHO機能分類Ⅱ,Ⅲ度および,エビデンスレベルは落ちるがNYHA/WHO機能分類Ⅳ度にも適応とされている.またごく小規模ではあるがEisenmenger 症候群を対象としたランダム化比較試験も同様の結果であった119) .承認が一番遅く,治療効果のエビデンスはまだ多くない.③エポプロステノール,ベラプロスト 2 ( プロスタサイクリン)は1976年に発見されていた血管内皮で産生される生理活性物質で,強力な肺血管拡張作用と血小板凝集抑制作用を有し,さらに血管平滑筋増殖抑制作用を持つと考えられている120) . IPAH/HPAHでは血中プロスタサイクリンの減少とトロンボキサンの増加が報告され121) ,さらにはプロスタサイクリン合成酵素の発現低下122) も存在し,これが本症発症の一因である可能性が示唆されてきた.そこでプロスタサイクリンの投与は本症の基本的な治療手段となり得る可能性が予測された.このプロスタサイクリンを化学合成したものがエポプロステノールである.○エポプロステノール 123),124) ,1995年米国食品医薬品局(FDA)がIPAH/HPAHに対する初の治療薬としてエポプロステノールを認可した.1996年,多施設共同の大規模前向きランダム化試験で,運動耐容能,肺循環動態諸量,および生命予後の改善効果が証明され125) ,本治療法のIPAH/HPAHに対する標準治療法としての位置づけが確定した.急性肺血管拡張効果がみられない症例でもエポプロステノールの慢性投与により病状改善効果が認められるとの報告126) は,本薬剤の血管平滑筋増殖抑制作用などの機序も治療効果につながっている可能性を示唆している.結合組織病に伴うPAHに対しても有効との報告もあり127) ,現在,PAHに対する内科的治療法としては最も有効性が高い治療法である.肺高血圧症治療薬のランダム化比較試験(観察期間の多くは12~ 16週)についてメタ解析を行った最近の報告でも,PAHの生命予後を改善できる治療薬は,静注のエポプロステノース製剤のみとしている128) .129) .小児IPAH/HPAHでの1年,5年,10年治療成功率は93%,86%,60%であり,他の治療法や移植を併用した生存率は97%,97%,78%である130) . また特にNYHA/WHOⅢ ~ Ⅳ 度の重症IPAH/HPAHに限定した検討でも,1 年目,2 年目,3年目,5年目の生存率はそれぞれ85%,70%,63%,55%と改善を示している.ただし治療開始時に右心不全の既往,NYHA/WHOⅣ度,6 分間歩行(250m以下),肺血行動態では右房圧>12mmHg, mean PAP > 65mmHgは長期予後不良を示唆する所見であり,また治療開始3か月後に右心不全NYHAⅢ~Ⅳの持続,総肺血管抵抗値の低下が30%以下も予後不良のサインであり,肺移植登録を考慮すべきである41) .131) では,エポプロステノール投与は1 ~ 2 ng/kg/minの微量から開始し,副作用と容認性を考慮しつつ1~ 2 ng/kg/minずつ徐々に増量するが,通常各々の患者に関しては,それ以上増加の必要性がない投与量が存在すると推定した.この値は個人差は大きいものの,20~ 40 ng/kg/minの間に存在する場合が多く,長期にわたり至適量以上投与している場合には高心拍出性の心不全が生じる可能性を指摘している.一方,我が国では約100 ng/kg/minの高用量エポプロステノールを平均3.7年使用した例では,高心拍出性の心不全を来たすことなく平均肺動脈圧で30%,肺血管抵抗で60%の低下が得られたとの報告があり132),各症例に応じた投与量調節の設定が必要である.重篤な副作用としては,投与量を急速に増やし過ぎた場合に体血圧低下が生じる.軽微な副作用に関しては,投与量の増加に伴い,頭痛,発赤,最初の咀嚼時の下顎痛,下痢,斑状紅斑などがみられるが,通常は増量の一時中止により軽減する.急なエポプロステノールの投与停止はreboundからshock,突然死にいたる可能性があり決して行ってはならない.本剤は経静脈的に持続投与を行う必要があり,投与経路の感染対策や投与量調節など高度の専門性が要求されるので,本治療は肺高血圧症の治療に精通した施設で,熟練した内科医と看護師のもと行われることが推奨される.○ベラプロスト 133) ,予後も改善した可能性があることから134) ,比較的軽症のIPAH/HPAHでは広く処方されている.しかし海外における2つのランダム化比較試験の結果では,6分間歩行距離を指標とした運動耐容能の短期改善効果は認められるが,長期効果は確認されていない135),136) .このためベラプロストの推奨度はESC/ERSの肺高血圧症治療ガイドラインでは高くはない.その後,ベラプロスト徐放錠の臨床試験が行われ,短期の運動耐容能と肺血行動態の改善が報告された137) .我が国では2007年より徐放錠が処方可能である.④併用療法 138) (図6 ).特異的PAH治療薬の併用療法におけるエビデンスとしては,2種の治療薬の組み合わせを検討したランダム化比較試験の結果が海外では複数報告されている.この中で,我が国で使用可能な薬剤の組み合わせとしては,BREATHE-2試験89) (エポプロステノール╱ ボセンタン),PACES試験139) (エポ ╱ シルデナフィル),COMPASS-1試験140) (ボセンタン ╱ シルデナフィル),PHIRST試験114)  (ボセンタン ╱ タダラフィル)などがあり,肺血行動態や運動耐容能で併用効果が得られたか,またはその傾向が認められたことが示された.したがって,いずれの系統の治療薬の組み合わせでも一定の併用効果が得られることは期待されるが,これらの試験はそれぞれ観察期間が4か月から6か月で,併用療法が長期生命予後に与える効果については,エビデンスとしては多くはない.○プロスタサイクリン とPDE5 -Ⅰの併用 ○ PDE5 -ⅠとERA の併用 140) .現在,長期効果についての試験(COMPASS-2 試験)が進められている.ただし,PDE5-I とERAの併用時には代謝酵素CYP3A4とCYP2C9を介した相互作用が指摘されており注意を要する.ボセンタン125mgの1日2回投与とシルデナフィル80mgの1 日3回投与の併用時にはAUC,Cmaxがボセンタンで1.5倍,1.4倍と増加,シルデナフィルで0.37倍,0.45倍と低下した141) .ボセンタンとタダラフィルの併用時にはAUC,Cmaxが10日目にタダラフィルで41.5%,26.6%と低下,ボセンタンとその代謝物はともに変化なかった.アンブリセンタンとシルデナフィルあるいはタダラフィルとの相互作用はないとされている.○プロスタサイクリンとERA の併用 89) .ボセンタンと吸入プロスタサイクリン薬の併用療法に関するランダム化比較試験では,効果が得られたSTEP試験142) と効果が得られず症例登録中止したCOMBI 試験があり143) ,未だ併用効果に関する見解は定まっていない.ただその後2012年に発表されたエポプロステノールとボセンタンを用い重症PAHを対象としてupfront combination therapy では,肺血行動態,NYHA/WHO機能分類,運動耐容能,予後で改善が得られたことが報告されている90) .⑤メタアナリシス 144)-146) .147) ,また肺血行動態や臨床的悪化までの期間にも改善がみられた148) が死亡率には差がなかったとしている.しかしこれらも観察期間が12~ 16週と短期間のランダム化比較試験の解析から得られた予後結果であり,今後併用療法の長期予後の検討が必要である.  
1 特発性肺動脈性肺高血圧症(IPAH)/ 遺伝性肺動脈性肺高血圧症(HPAH) 
表7 肺動脈性肺高血圧症の診断基準 
表8 肺動脈性肺高血圧症の重症度/予後評価 
文献87より,引用,一部改変 
図5 肺動脈性肺高血圧症に対する治療手順 
表9 肺動脈性肺高血圧症に対する一般対応 
表10 特発性PAH/遺伝性PAHに対する支持療法 
図6 我が国における併用療法の現状(2009年) 
文献138より引用